たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

さぁ、4月!大事な大事な「黄金の3日間」、足りないもの3つ

みなさんこんばんは。たくやです。

 

 

ワクワクな人も、不安な人も、やる気に燃える人も、憂鬱な人も、この時期は早く寝ましょうね。

良質な仕事は良質な睡眠から、ですよ。

 

 

今回は新年度のスタートに当たって「黄金の3日間」について書きたいと思います。

 

 

 

 

 

さあ、「黄金の3日間」に向けての準備!

 

タイトルにあるように、「黄金の3日間」は大事な時間だと思っています。

書店に数々の本が並ぶことからも、先生方がこのスタートを大切にしたいことがよくわかります。私も買ったことがあります。

 

 

 

ただ・・・

 

 

 

「黄金の3日間」さえしっかりやっておけば、これからの指導がうまくいくわけではありません。

ここでスタートダッシュをキメたとしても、「あとで息切れして失速、学級も荒れる」ということのないようにしたいです。

 

 

 

 

「それなら、失敗がないように完璧なスタートを切ればいいじゃない」

 

 

 

 

お気持ちはわかります。やる気に燃えているのも。

 

 

 

 

でも、私は私を信じられません。

立派な取り組みを打ち出せたとしても、私は毎日のちょっとした事の積み重ねがとても苦手なんです。

また、小規模校とはいえ、子どもたちの気持ちや言い分にすべて耳を傾け、丁寧に時間をかけて応答するほどの時間的な余裕もありません。

 

 

 

新しく出会う子どもたちがどんな子たちか、引き継ぎだけではわかりませんし、どんなに厚く理想を語ったとしても、それが空しく消えていくのをたくさん見てきました。

 

親からの愛情が不十分な子

友達との距離感がつかめずにいる子

勉強が分からなくて、どうしたらいいかわからない子

生きづらさを抱え、それらを本人の努力で乗り越えさせる指導を受け続けてきた子

忘れ物や宿題忘れを「自己責任」と片付けられ、罰を与えられてきた子

教師の言うことに過剰適応してきた子

前の担任を盲信していた子

大人に裏切られてきた子

 

たくさんの子どもがいる中で、それらを私たち教師は指導という形で「画一的に上塗り」しがちです。

 

その危うさを分かったうえで「黄金の3日間」をむかえないと、子どもたちは戸惑います。

 

 

 

 

今まではセンチメートルのものさしだったのに、突然「今日からはフィートでいきますから、これでそろえなさい。泣き言は聞きません」なんて言われたら困りますもんね。

 

 

 

 

そこで、私が「黄金の3日間」に向けて気を付けたいことを、過去の私への戒めも込めて、3つ書きたいと思います。

 

 

 

かつての私はコケました。

 

失速しました。

 

がんばって走って、振り返ったら何人かしかついて来なかった時もあります。

 

 

 

だから「戒め」です。

 

 

 

 

「子どもたちの分析」が足りない!

 

新しく教師になって、または異動して、または学年が変わって、学級づくりをしようというときにまずは「引き継ぎ」がスタートですね。

 

 

どんな子たちがいるのか

どんな家庭環境なのか

どんな人間関係を抱えているのか

 

そういったことを詳しく聞き、指導の役に立てます。

 

 

 

 

ただ、往々にしてこの引き継ぎは「冷たい」ことが多いです。

 

「授業中にこんなことをしていて困りました」

「この子はこの子とトラブルがあるので班は同じにしないほうがいいです」

「こんなことができないので、毎日先生が教えないといけませんよ」

 

気も滅入ってきて、気が付いたらお昼になっていた、なんてことも。

 

 

 

 

そういった冷たい情報はナナメに聞き、実際の子どもたちを見ながら指導方針を立てていくほうが建設的です。

 

 

 

 

 

だからこそ、実際の子どもたちの実態に合っていないことがあるにもかかわらず、「黄金の3日間」で明確すぎる「かくあるべし」を押し付けると、

 

 

①子どもにとって「やりたくない」が先行する取り組みになる

②できもしないことを押し付ける嫌な大人(教師)としてのスタートを切ることになる

 

のです。

 

 

 

もちろん「命」「お金」「時間」などのように、明確に教師が主導権を握らなければいけないものもあります。

ただ、それら以外にも明確に線を引かないと、スタートは切れないものでしょうか。

 

 

 

子どもの実態に合うかどうか、子どもたちを見てから取り入れていくこともある、という目があるだけで、少し子どもたちにとっても息苦しさが和らぎますよ。

 

 

 

 

 

「決定に関わる幅」が足りない!

 

 

教師が決めたことは絶対!

守らないものは怒鳴りつけてでも言うことを聞かせる!

それが教師の威厳!

 

 

 

 

なんて考えている人はいないと思いますが、4月のスタートに当たって決めなければいけない学級のルールやシステムはたくさんあります。その反面、時間には制限があり、ぼやぼやしていられないのも十分理解できます。

 

 

 

「ルール作りを子どもにすべて任せる」なんてことは私もしませんが、教師が提示したそのルール、子どもたちだって何かしら考えがあります。

それらを聞き取りもせず、教師が「このルールでいく、異論は認めない」なんてスタンスでいくと、子どもたちは反発します。

 

 

 

そこで、ルール作り一つ一つに子どもたちの承認を求めることになるのですが、

 

「これでいいですか」

「いいでーす」

 

で簡単に決まっていくと、あとからトラブルが起きたときに

 

「みなさんが『いいです』って言ったのに、できないのはおかしい」

「みなさんが『いいです』といったのだから、がんばりなさい」

 

と、取り組みをやり遂げられないことを子どものせいにしたり、

 

「先生の言っていることが間違っていた、やっぱり変えよう」

  

一から決め直したりということになります。教師が初めに提示したルールがダメだったことを意味しますから、教師のメンツが立ちません。

 

 

 

 

 

そこで、私が取り入れているのが「お試し期間」です。すぐには決めません。

 

去年までのやり方を子どもに聞きます。

1組のやりかた、2組のやり方・・・が違う場合も同様に聞きます。(本当は引き継ぎの時に知っていても、です)

 

去年までのやり方がなかったり、新しい取り組みになる場合は教師が考えたシステムを子どもに分かるように示します。心配な部分も出してもらい、対策を考え、実働します。

 

そして、何日間か試してみて、いい方法を子どもたちに選んでもらいます。

その中で困ったことも聞き取ります。

 

 

 

こうした「お試し期間」の方法をとる目的は、

 

①子どもたちに「先生はおれたちのアイディアも聞いてくれる」という体験的な所信表明ができる

②「困ったら声をあげていい」という文化の種をまける

③強い立場の子(教師の言うことを簡単に実現できる子)だけでなく、弱い立場の子にも寄り添える

④ルールを改善しようというリーダーの素質をもった子を見つけられる

 

などです。

 

子どもたちと一緒にやることで、集団づくりに関わるポイントがたくさん出てきます。

 

 

子どもたちの実態をよ~く見て指導方針を立てるためにも、こうした「幅」が必要なのです。

 

 

「子どもたちのよそよそしさへの配慮」が足りない!

 

 

 

「黄金の3日間」で、前の学年までやんちゃだった子がおとなしくしているのはなぜでしょう。

 

 

それは、「新しい教師がどこでどんなカードを切ってくるかわからないから」です。

単に私やあなたのことを観察しているだけのことです。

 

 

 

徐々に試し行動が始まり、その審査を通り抜けられればやんちゃをしなくなり、通り抜けられなければまたやんちゃが始まります。

 

「試し行動」をどんな風にいなすのか、どんな対応を見せるのか、それは直接話さなくても周りからは見られています。

 

授業に遅れてくる子をどんな風に注意するのか

休み時間に一緒に遊んでくれるのか

黒板に落書きをしても許してくれるのか

失礼な質問をしたらどんな反応が返ってくるのか

・・・

 

 

そういったことを全て大人としての善悪の判断だけでぶった切っていくと、子どもたちはおとなしくなるかもしれませんが、陰でやります。

子どもの思うがままにしすぎると、「自由」という名の「無秩序」が蔓延します。

 

 

 

この時期の子どもたちとの関わり方をどのように積み重ねていくかは、かなりデリケートな問題なのです。

 

 

 

 

そこで私が意識的に使うのは、「よそよそしさ」です。

 

よそよそしいからこそ、この時期はあいさつをしてくれます。「うれしいな」と喜びます。

よそよそしいからこそ、教室をきれいにしてくれます。「素敵だね」とほめます。

よそよそしいからこそ、授業中にノートを取ります。授業でノートを取らなくなる前に、「〇〇君は前の学年ではノートを取るのが苦手だったみたいだけど、今年はそんなことないね。すごくがんばっているね。先生も応援するよ」と認めます。

 

その一方で、よそよそしいはずの関係性を、教師が無理やり距離を詰めてくることがあります。

 

「先生には何でも話してほしい」

「このクラスは家族だ」

 

と、デリケートな子どもたちの心の中に土足でズカズカ入ってくると、平気な子は平気ですが、そうでない子はそれだけで嫌悪感をもってしまいます。

 

 

 

よそよそしさをだんだんと解消していく最中にこそ、指導の本質があります。

 

 

 

 

まとめ

 

子どもたちとの出会いを大切にしたいのはどんな先生も一緒です。

演出のしかたやスタートダッシュばかりに気を取られずに、大切なものをきちんと守りながら、ゆるやかに子どもたちとつながっていきたいですね。

 

私は子どもたちが子どもたちなりの歩き方で前に進めるクラスを作りたいと思っています。

 

 

そのために、私が先頭に立って道案内をし、荒れた道を舗装し、道に落ちている小石を全て拾うようなことはしません。

子どもたちが前を向いて楽しく進めるように、遅れそうな子には手を差し伸べ、迷子になりそうな子に声をかけながら、子どもと一緒に歩きたいと思います。

 

 

傷ついたことも、こけたことも、失敗したこともあるからこそ、私の「黄金の3日間」はキラキラしません。派手でもありません。ゆっくりと、じっくりとやります。そして、困ったときには子どもに頼り、一緒に乗り越えます。

 

それが私の行く道です。

 

 

 

それではみなさん、明日は笑顔で出勤しましょうね。

私はコンビニで先生方に配れるチョコレートを買って出勤したいと思います。