たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

学校で過ごしている以上、トラブルは起きる。それをどう捉えるか② 「どうして?」で解決はしない

善悪の判断がつかないからトラブルが起きるんじゃない

 

 

トラブルが起こしてしまった子は、いったい何を考えていたのでしょうね。

 

文字通りの意味で捉えれば

 

そんなことするなんて信じられない!まったく!

 

という捉え方になるでしょうか。

 

ただ、子どもたちは思っている以上に善悪の判断がついていることの方が多いです。

特に、対人関係のトラブルに関しては、

 

「人が嫌がることや人が傷つくことをしてはいけない」

 

と小さいころから言われているので、そのくらいの理屈は通りますし、知っています。

(あくまで、落ち着いているときですが)

 

問題は、その理屈を超えるくらい我慢ならない「感情」が、その時その子には起こったという「事実」です。

 

 

 

 

わたしたちはついつい「理屈」を聞き出そうとしてしまう

 

 

数年前、1年生の子が、種をまいた花壇を踏み荒らしてしまったということがありました。

 

 

「どうしてやっちゃったの?」

と聞く若い担任の先生に、きょとんとする子どもたち。

ベテランの先生が聞きました。

「その時、何をして遊んでた?」

「おにごっこ!」

「楽しかった?」

「うん!」

 

話を聞いても、故意にやったとは思えなかったそうです。

どうやら、花壇に入ってはいけないという知識がなかっただけで、鬼ごっこのフィールドがたまたま花壇になってしまったようでした。

 

「知らなかった」という行動であれば、担任の先生は

「ここはね、これからお花が咲くための種をまいたところなんだよ。踏んづけられるとお花がきれいに咲かなくなっちゃうから、ここには入らないようにしよう」

と、正しい知識を与えれば、次はなくなることが多いでしょう。

 

「知らなかった」の指導は「教える」で済みますね!

 

 

トラブルを解決する指導で難しいのは、

 

・故意に物を壊すなどのいたずらをしたとき

・友だちとのトラブルのとき

 

ではないでしょうか。

 

 

そうしたトラブルの時、わたしたちはつい

 

「どうしてやっちゃったの?」

 

と聞きます。

 

 

「どうしてやっちゃったの?」と子どもに聞いて、

 

「先生、ぼくがこのトラブルをやってしまったのには大きく分けて3つの理由があるんだ。一つ目は今まであの子とのケンカでたまったストレスを晴らしてやろうと思ったこと。二つ目は・・・」

 

と冷静に自分を分析して理屈を語ることなどありえないでしょう?

 

 

 

これは、知り合いの先生が珍しく教育センターで講座をすると聞いて飛びついた研修での話です。

 

子どもは大人から怒られたくありませんし、ド正論で諭されたくもありません。

トラブルを起こしてしまった子どもが「してほしいこと」は何でしょう?

 

 

 

それは、「共感」です。

 

 

 

 

 

謝罪をゴールにして指導するのではなく、「分かり合う」をゴールにして指導に当たります。

そのためには、「どうして?」「なぜ?」と最初に理屈を問うのをやめるところからはじめましょう。

 

では、トラブルを紐解き、最後に分かり合うためにはどうしたらいいのでしょう?

 

 

 

 

 

つづきはまた次回!