リーダー像の転換、もう少し勉強しよう
教師の言うことをきちんと聞き、理解できる
教師の指示を子どもに伝え、実行・完了できる
といった「教師にとって都合のいいリーダー」観はもうずいぶん前に間違いだったことに気づきましたが、最近はまたリーダー観の揺らぎがきています。
つい最近までの私の「リーダー観」は、
・リーダーとしてのやる気がある
・目的や活動に応じて、得意を活かした多様なリーダーが立ち上がってくるようにする
(スピーチが得意な子が活きる場と、段取りが得意な子が活きる場は違う)
でした。
ですが、最近それとはまた違ったアプローチを考え始めています。
それは、
・友だちの生きづらさに共感し、民主的に立ち上がるリーダー
です。
昨今の学校では、「わからない」「助けて」を発することができないでいる子が増えてきています。
そうした声をあげると周りから「ダメなやつ」「弱いやつ」とみられ、相対的なポジション争いから脱落していくような感覚が無意識のうちにあるのだと思っています。
競争的な文化が渦巻く教室を「安心して居られる居場所」としての機能を取り戻し、共生的な集団へとつくりかえていくために、子どもたち同士はどのような関係を結び直せばいいのでしょう。
少なくとも、「主従関係」「上下関係」ではないですよね。
他者に呼びかけていたものが、依存をめぐる当事者主体として自己決定権を実質的に行使し、「ケアされるもの」と「ケアするもの」との非対称的な関係を相互応答的な関係に転換していくのである。
(全生研第56回基調 「ケアと自治」を基本とする生活指導と集団づくり)
友だちと相互応答的な関係性を結びながら、友だちがどのように生きており、どのような生き方を願って行動しているかを学ぶことが大切になる。
(全生研第56回基調 「ケアと自治」を基本とする生活指導と集団づくり
「だってこういう思いをしてきたんだもの」
「私も大変なんだ、」
という一人ひとりがそれぞれに抱えているものを引き取り、
「本当はこうしたい」
という「もう一人の自分の声に耳を傾け、
その要求の実現のためにできることは何か考え、立ち上がる主体となる
のが最近知った新しいリーダー像です。
もう少し勉強します。