シリーズ「小規模校の強みから学びを考える」③ 小規模校で軽視されがちな9つのこと
今日は私の学校の卒業式でした。
私は卒業担任ではないのですが、参列者の方から
「人数が少ないけれど、温かい式だったね」
「人数が少なくてもこうやって人情がある学校っていいね」
と言われ、とてもうれしくなりました。
そんな達成感と安堵感が心地よい気分なのに、
「何でこんなことを予告してしまったのだろう?」
と思うのですが、小規模校ということでついつい後回しにしたり、優先順位を下げてしまったりすることがあります。
今回はそんなことを書いてみたいと思います。
人数が少ないからって、それはやっちゃダメでしょ!
となりの人がいない「一人席」での学び
学校と塾との明確な違いは、「子どもと子どもの関係性づくり」にあると考えています。「見える学力」の向上を目指す塾とは違い、学校では子どもと子どもが関わることを求めているのです。
それなのに、「小規模校だから」と言って席を放し、教師の机間巡視優先の席にしてしまうクラスがあります。
確かに「個を見取る」のがしやすい小規模校では、子どもたち一人一人に目が行き届き、つまずきが見られれば即指導して直すことも可能です。
しかし、そういった個別の対応による「教師の一本釣り」のような手立てばかりしていると、子どもと子どもがつながらず、お互いがお互いを意識せずに自分の理解だけで満足するようになります。
エスカレートすると、
「自分はできるからいい」
「先生にいつも助けてもらっているあの子はできない子だ」
「つまり自分より下だ」
という見方が子どもの中に根付きます。
私たちが「よかれ」でやっていることでも、実は子どものためになっていないことっていっぱいあるんです。
教師が教卓に座ったまま問答する「寺子屋スタイル」
人数が少ないと、「話を聞かせる」のに手間がかかりません。
そもそも母数が少ないので、よそ見をしている子がいても注意さえすれば何とかその場は話を聞いてくれているような感覚になります。
「よそ見をその都度注意していさえすれば話を聞いてもらえる」ということを取り込んだ教師がとる手立てが、この寺子屋スタイルです。
教卓で教科書を読んだり話をしたりして、発問をします。
聞いている子は答えられます。聞いていなくても答えられる問題もあります。
聞いていない子には注意をします。注意をされれば答えられます。
注意をされても答えられない時もあります。そうすると先生が問題を繰り返してくれます。答えられます。
人数が少ないと、こうして話をするだけでも授業が進んだ感覚になるんです。
でも、もうお気づきかと思いますが、授業は様々な感覚を使ってやるものです。
この寺子屋スタイルでは、教師の話を「聞く」ばかりで、板書を「見る」というインプットがなされません。また、「話す」ばかりで「書く」というアウトプットも少ないです。何より、自分から進んで勉強しようという気にならなくなっていきます。いろいろな手立てを講じながら、目的に合った学び方を体験的に獲得していく必要がある大事な時期なのに、教師が「楽だから」という手立てでは子どもたちのためになりません。
人材不足を理由に正当化される「できる子にリーダー集中」
どんな規模の学校でも校務分掌の数にはそれほど変わりがないように、小学校というところは「規模の違いで経験できない活動があるのはかわいそう」と思うようで、クラブ活動も委員会活動もできるだけ大規模校と同じような仕事をさせようとする傾向にあります。
そんな中、学級の人数が少ないと、回ってくるリーダー的な仕事をいくつかかけ持ちすることになります。
そんな中、「○○君にも▲▲さんにもリーダーを任せられないから、仕方ないからあれもこれもお願い」という先生がいます。
どんな子にお願いするかと言うと、低学年のころから周りの子への面倒見がよく、お姉さんキャラを自他ともに認め、学級の中でお世話役を買って出るような子です。
そういう先生に限って、リーダーを「見つけよう」とするだけで、リーダーを「新しく育てよう」とは思わないのです。
リーダー不在なのは私たちの目が貧しいだけで、リーダーの素質をもっている子はたくさんいるのです。リーダーとして立ち上がることを促し、周りの子がフォローすることを教え、だんだんとリーダーとしての成功体験を積み重ねていくことに意味があります。
だからこそ、小規模校だからと言って人材不足を嘆いているだけではだめなのです。
人数が少ないとはいえ、それを求めちゃダメでしょ!
大規模校と同じレベルの〇〇〇
応援の声、対外行事の入賞、歌声の大きさなどの見栄え
外遊びの経験、集団遊びの経験などの生活経験
アンケートの良しあし、学力調査の平均点などの数値
それらは人数の規模ではかるものではありません。
競争原理を必要以上に煽る指導
ただでさえ関係性が固定化しやすく、人間関係の風通しが悪い小規模校で、「あいつは上」「あいつは下」という関係性を生みやすくなる指導は子どもがどんどん苦しくなっていきます。
「誰が一番早いかな」
「誰が一番上手かな」
「誰が一番きれいかな」
他人に手を差し伸べ、少ない人数ながら密度の濃い関係を作ろうとするならば、階層主義を助長するような指導は控えるべきです。
チェックを名目にしたつるし上げ指導
宿題を忘れた子を全体の前で叱責していませんか。
連帯責任を振りかざす指導はもってのほかですが、それと同じくらいつるし上げは子どもが子どもを下に見ます。
宿題チェックを名目に、一人ひとりの進捗状況をシールで張り出していくと、早い子が遅い子を「ダメな子」扱いすることがあります。
そうでない学級はきっと日ごろの指導が軌道に乗って、遅い子のしんどさに共感することができる集団にまで集団づくりが進んでいるのだと思います。
ここまでで何が言いたいかというと、その手立てで傷つく子がいないか、注意深く考える必要があるということです。小規模校のこじれた人間関係の根の深さは想像以上ですから。
人数が少ないからって、それをあきらめちゃダメでしょ!
「人数が少ないから学び合いができない」
意見の絶対数では大規模校に勝てなくても、関わらせ方や活用の仕方で学び合いの質は上がります。学び合いの形をもっともっと多様にすることを考えます。
「人数が少ないからパワーがない」
子どもたちのアイディアを吸い上げ、要求に応答することを続けていけば、子どもたちの「やりたい!」のエネルギーはどんどん増幅していきます。
人数に頼らず、アイディアを生かそう。
「人数が少ないから面白いことができない」
その「面白い」は教師サイドの狭い価値観の可能性があります。
こちらも子どもたちのアイディアに乗っかってみることで、「面白い」を生み出すことができます。「面白い」が野球やサッカーとは限りませんよ。
最後のほうはもう時間と体力の限界を感じて端折ってしまいました。ごめんなさい。
明日の修了式、子どもたちと笑顔で追われるように、今日はこのくらいで寝ます。
次回は小規模校らしい取り組みにはどんなものがあるか考えてみたいと思います。
それではまた。