たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

もっと早く出会いたかった・・・ ~『教師における「指導」のいろいろ』を読んで~

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今回は私のバイブルのひとつ、

 

教師におくる「指導」のいろいろ(家本芳郎)

 

を紹介します。

 

 

 

えっ、この本、最近の本じゃないの!?

 

 

荒れや無気力、指示待ちといった教育界の現状を的確に言い当てていくこの本。

なんと、初版は、1986年です。

 

 

実に30年以上も前から、「まずい指導」による子どもたちの影響は研究され、議論され、実践に活かされてきたのです。

 

 

ところが、「体罰はダメ」「怒鳴りつけるのも体罰」といった議論は深まることなく、善悪の判断によるものにとどまり、子どもたちに対する人権意識の高まりや自立への道しるべとしての「よい指導」に関わる議論はされませんでした。

 

 

「柔軟で様々な指導の引き出しがある先生になれたら」という思いでこの本を手に取りましたが、それ以上の気づきと共感を得ることができました。

 

 

 

力の教育と訣別する必要性

 

教師はその気がなくとも権力を行使して子どもと関わる存在です。

その権力や影響力を過剰に用いると、しごきや体罰になります。とうぜん、やってはいけないのですが、「よかれ」でこうした状態に近いまずい指導を展開することがあります。

 

 

 

それに対し、教師に対しても立ち向かっていけるエネルギーをもつ子は、対教師暴力や学級崩壊のリーダーとして表出します。

教師には向かっていけない子供はどうなるでしょう。そのうっぷんを他の子どもに向かって晴らします。こちらはいじめ行為として表出します。

 

 

 

では、どちらもできない子はどうなるのでしょう。

 

 

 

1つは、イライラして攻撃的になります。自主性や創造性を抑圧され、欲求不満になるからです。

2つは、暴力に屈し、暴力の支持者になります。

 

これらが合わさるとサディズムになります。集団いじめの背景にもなります。

 

 

3つは、過剰適応の子になります。教師の言うことを絶対視し、教師の顔色をうかがい、教師に怒られないようにします。

4つは、無気力になります。禁止ばかりで強く抑え込まれ、自分でものを考えられない子になります。

 

これらが合わさると指示待ち族になります。主体性がなく、自分の興味や行動すらも自分で決められない人間になります。

 

 

これらのとんでもなく濃い内容がたった十数ページのプロローグに書かれているのです。とんでもない密度です。

 

 

 

読みはじめから脳みそはフル回転を余儀なくされます。

なんせ、自分の学級のあの子やあの子やあの子やあの子が脳裏に浮かんでは、

「ぼくだって苦しい思いをしてきたんだ」

「私、傷ついてきたの」

と、悲痛な声をあげるのですから。

 

 

 

以前この本のプロローグの内容の一本槍で講座をしたことがありますが、非常に濃い学びになりました。誰にもあるあるネタすぎるのですから、当然ですね。

 

 

 

話をプロローグに戻します。

そうした指導を先生たちはどうして展開してしまうのでしょう。

それは、「指導が入らないという焦り」です。

 

 

日本の教師たちは「指導」=「注意」として捉え、その意義を問い直すことをしてこなかったようなのです。

戦前においては「教師の言うことは絶対」だったため、教師が注意をすればことが済みました。しかし、時代が進むにつれ、そうはいかなくなってきました。その結果見られるようになったのが、「注意の強化」です。

 

「注意の強化」でしか子どもにアプローチしきれなかったとしたら、どんなにつまらない教室になるでしょう。

「学校楽しいな」「明日もまた行きたいな」という教室を、用意できるとは思えません。

 

 

力の教育ではなく、人間味と義理と人情、ユーモアで子どもと関わろう

 

力の教育では子どもたちの自主性や創造性、豊かな人間性は育まれてはいかないでしょう。

そうしたまずい指導から脱却するために、この本は一つ一つ丁寧に指導の形態とその内容について解説していきます。

 

 

説得する、共感する、受容する・・・一つ一つに意味があり、子どもたちと共に立ち上がる人間味のある教師像がありありと浮かんできます。

 

 

 

また、「まずい指導からの脱出」という項もあります。

こうした指導を展開してしまってはいないか、自分の中に巣食う管理主義と戦います。

 

 

 

かくいう私も、どうしたら指導が入るかわからず、いっぱいいっぱいになりながら教壇に立った過去があります。

朝、出勤するために車に乗り込み、エンジンをかける手が重たい日々。

戻りたくない過去があります。

だからこそ、私は子どもたちの前に立つために歩みを止められないのだと思っています。

 

 

 

この本に出会えたことは奇跡であり、必然です。この先もこの本を手に取るたびに、書き込みを増やしていくことになると思います。

 

 

 

 

子どもに対する人権意識を豊かにし、互いに気持ちよく成長していくために

 

この本を読み終わって感じるのは、人権意識を大切にしながら、手立てを柔軟に組み替え、子どもたちと一緒になって豊かな関係をつくろうとすることの意義です。

 

 

子どもたちと一緒に汗かき、笑い、時に涙しながら、相手を尊重して前に進んでいくことです。そのためには手段を常に選びなおし、教師という立場にあぐらをかかず考え続けることだと思います。

 

 

 

教育実践、授業実践を磨き、専門性を高めていこうとする先生も、こうした子どもたちとの関わりは避けて通れません。

 

 

方法論、時短術、生産性アップと、昨今の教育現場のトレンドはめまぐるしく変化していますが、そうしたいろいろなテクニックの根底に流れる「不易」に今一度立ち返ってみてはどうでしょうか。

 

 

 

 

わたしからの超オススメの本です。