たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

運動会の応援練習からリーダーシップとフォロアーシップを考える

 

 

応援練習を子どもたちなりの活動にしたい。けど・・・

 

みなさんこんにちは。

 

みなさんの学校の運動会の応援練習、うまくいっていますか?

 

 

応援リーダーがいまいち応援練習を盛り上げきれない

低学年は声を出すけれど、高学年が声を出さない

リーダーばかりがんばって、あとがついて来ない

 

 

そういった課題を抱え、改善させきれずに運動会を迎えたり、結局は高学年の先生や声の大きな先生の指導によって声を出させたりする学校も多いのではないでしょうか。

 

今回は、そんな運動会の応援練習の指導を通して、高学年が「自分たちで応援の取り組みを盛り上げた!」と思えるような関係づくりを考えていきます。

 

 

 

 

 

何で応援練習がうまくいかないのか

 

それはずばり、6年生にとって「自分たちで子どもたちを動かす進め方をする機会がない」からです。 

 

 

運動会の応援団の活動は6年生が今まで経験したことのないような行事へのかかわり方を求められます。

 

 

クラブや委員会など、ただでさえ異学年と一緒の活動を進めることの難しさを感じていて、先生に入ってもらってやっと活動しているのに、運動会というだけで1~5年生まで、全ての学年を6年生が束ねて同じ活動をさせなければいけなくなります。

 

しかも、そうした経験は今までの学校生活の中にはあまりなく、全学年を一度に面倒を見るという難易度の高いことを6年生には課せられることになります。

 

 

経験的にそうした営みに身を置きやすい私たち教員は慣れていても、進級していく子どもたちに最初から「6学年を動かす」というのはハードルが高いと思いませんか?

 

発達段階だけでなく、取り組みに対する温度差もある中で活動を成功させるのは、大人でも至難の業です。

  

 

だからこそ、リーダーだけががんばる取り組みにするのではなく、リーダーを支える6年生・5年生のフォロアーシップに火をつけられるかがカギになります。

 

 

 

 

リーダーとフォロワーを育てるために、「一肌脱いだ子」を見つけよう

 

  

そうした応援練習を運営する難しさは、子どもたちにとっては最初から分かっていることではありません。

 

何がうまくいかないのか

何でうまくいかないのか

どうしたらうまくいくのか

 

を活動の前にこちらから簡単に提示するのはもったいなさすぎます。

リーダーたちにはまずやってみて、自分の目や耳、体で感じたことをもとに集団への要求を突き付けてもらいたいと思います。

 

 

 

しかし、そうした課題に取り組むための時間を設定することなく、

「個人のがんばり」=「ガンバリズム」

にのみ依存した取り組みでは、リーダーが潰れるか、応援団が冷え切るかになってしまいます。どちらが先に「やってらんねー」と言い出すか、ということです。

 

 

そうならないためには、「今までよりちょっとだけがんばってみようかな」と、自分から立ち上がる子どもたちを育てることです。つまり、リーダーを主体的に支えていこうとする「一肌脱ぐ」存在に気づかせ、「ぼくも」「わたしも」と追随する雰囲気をつくることです。

 

 

今年の運動会は、結局団長も副団長ももじもじした自己紹介でした。教室で話すような声で名前を言い、あいさつも「よろしくおねがいします」だけでした。

そんな中、6年生のいつも静かな女の子がいつもより大きな声で、反り返るようにして名前を言いました。

 

応援練習は散々たる結果で終わりましたし、反省会でも「声が出なかった」「動きがばらばらだった」といった反省は一応出ました。(じゃあどうするか、は出なかった)

 

 

その日の反省会で一言を求められたとき、その子のことを話しました。

 

「さつきさん(仮名)は応援団の中でも団長とか副団長とかではないけれど、あの自己紹介の時に『これじゃだめだ』と思ったんじゃないかな。『何とかしなきゃ』って。そのことがあの時の声の大きさに出たんだとぼくは思うんだ」

 

その時、うなずくさつきさんの横で、はっとしたような団長の顔。

 

団長や副団長よりも先に立ち上がったさつきさんは、それ以来特段目立つわけではありませんが、そのことで奮起したのは周りのリーダーたちです。次の応援練習では「まずはおれたちから声出すぞ」という団長の言葉もありました。

 

 

目立たない存在ながら、自分から声を出した事実を知り、リーダーたちはイキイキとし始めました。支えてくれる仲間、立場に関わらず前に進もうとする仲間の存在に気づけたのです。

 

リーダーは孤軍奮闘していくものというイメージを子どもたちはもっているのかもしれません。そこをみんなでやっていこうという方向で動けると、活動への満足感を感じられるようになっていきます。

 

 

 

 

役割分担を通して、「みんなのために動いた事実」を残そう

 

 

その後の応援練習も、がんばっていることはがんばっているのですが、なかなか軌道に乗ることができません。

気付けば団長の声はカッスカスです。

 

応援の身振りも、我慢ができなくなった先生が指示を出すようになってきました。

確かに団長の困り感をその場で解決してあげることが先決です。

 

が、ここで先生が前に立って子どもたちを的確に動かしたことで生まれるちょっとした空気のゆるみというか、リーダーたちのなんとも言えないような表情がもたらすものが、集団に与える影響は少なからずあるのではないかと思っています。

 

そこで活躍するのがホワイトボードです。

 

「教師が子どもたち主体の活動を止めて話した」

という事実を残さず、団長たちに指示を出すことができます。

 

これは、児童総会の議長の話す言葉を教師が唱え、議長は教師の方を見ずにそれをマイクに向かって繰り返すことに似ています。子どものせっかくの活躍の場に教師がしゃしゃり出ることで、成功体験の質が下がります。それくらい教師の言葉にはよくも悪くもパワーが働きます。

 

 

だからこそ、ホワイトボードを使って「黙って」指示を出します。

 

ただ、ホワイトボードを出す回数は徐々に減らし、最後には絶対出しません。

教師のモデルは必要ですが、そこからはだんだんと主体を手渡していきたいからです。

かといって反省会でそれをやっていくのでは少ない応援練習では大きなロスになります。だからこそ即実践できるヒントをホワイトボードで「黙って」示します。

 

 

「2つほめて、次の課題1つ」

「こだわりポイントを1つ伝えよう」

 

といった指示を最初は出していたのですが、空気が変わったのは

 

「副団長がかけ声、団長はほめる」

 

という指示でした。最初は前に立つ応援団の一人でしかなかった二人が、突然副団長としてイキイキし始めたのです。

そして、その影響は他の団員にも派生し、次の応援練習では4年生の団員が整列する組団の後ろから声でサポートをし、チアリーダーたちは振り付けを1年生の間に入って手本を示すようになりました。恥ずかしがりの女の子は歌詞を持ちました。

 

そうしたところから組団の声はよく出るようになりました。特に、団長以外の応援団が声を出すようになりました。

「団長だけががんばる応援練習」から、「団員みんなががんばる応援練習」に名実ともになりました。役割分担をすることで、活動をした事実が残り、それが自信になっていきました。

 

 

 

 

教師のアプローチ:「行為そのもの」ではなく、「思想」を取り上げて認めていこう

 

応援団の反省会の時に、ざっくりと高学年の先生が「気づいたことはありませんか?」と子どもたちに投げかけていきます。(私だったら子どもたちにペアトークをさっとさせて、成果と問題点を洗い出したいなぁ・・・)

 

 

そんな中で出るのは、

「今日は前より声が出ていた」

「手が伸びなかった」

といったわかりやすい事項です。

 

そこからもう一歩踏み込みたいところですが、応援練習があるのは朝自習の短い時間か、全校が集まるロング昼休み(うちの学校では朝の自学級の学習時間の確保のために、児童集会や委員会発表、全校道徳をするための「ロング昼休み」と呼ばれる時間があります。掃除は週3回です)で授業が次に控えているため、ゆっくりと反省会をしている時間はありません。

 

だからこそ、短い反省会の効果を倍増させ、次回の応援練習にその成果を活かす道を探っていく必要があります。

 

 

 

そこで私が取り組んでいるのが、「行為を通して思想を認める」です。

 

前にさつきさんの例を出しましたが、大きな声を出したことに対して「さつきさんは『何とかしなきゃ』と思ったんじゃないか、だから大きな声で自己紹介したのだと思う」という認め方をしました。

 

 

 

ここで有効なのは、「本人も気づいていないようなことでもこちら側の解釈を通して認めていく」です。

もしかしたら拡大解釈かもしれないようなことも、思想については「こちら=受け手側はそう思った。だからすごいと思ってる」と伝えられます。

 

 

 

そして、この「思想を認める」の一番のポイントは、子どもたちが「あれもやってみよう」「これもやってみよう」と考え、行動していくことです。

 

 

行為そのものを認めていくと、その行為はするようになりますが、なかなか次に派生しません。

腕を伸ばすことをほめれば、腕を伸ばすことはするようになりますが、ひざを曲げることはしてくれません。

腕の高さをほめれば、腕の高さに気をつけるようになりますが、その時の足の幅については気をつけてくれません。

 

 

 

そこで、行為を通して思想を認めていきます。

「めいさんはポンポンを動かすキレがいいんだけど、これは遠くから見たときによくるようにしているんだと思うんだ」

「かんたさんは1年生の前で鏡になる役割だけど、いつもより大きめに扇子を動かしているよね。1年生が動かす手を分かりやすくしようとしてくれているんでしょう」

 

 

そうすると、他の似た立場の子たちがそれをまねするとともに、「何かないか」と想像力をはたらかせるようになります。その想像力をはたらかせようとする子どもたちを育てることこそが、子どもたち主体を崩さず、指導を展開しようとする教師の役割です。

 

 

想像力をはたらかせるようになると、今度は子どもたちが自分たちから集団にベクトルを向けていくようになります。そうしたら、自然とフォロアーシップは育っていきます。リーダーたちはだんだんと前向きになっていくフォロアーたちを見て、さらにうれしく思い、前向きにチャレンジしていくことになるでしょう。

 

 

 

まずはリーダーを変える。フォロアーを後から育て、活動後には総括

 

まずはリーダーが変わっていくことが先決ではありますが、リーダーたちが変わっていく過程をフォロアーに広げていくと、フォロアーたちはちょっと活動のしかたを前向きにシフトさせるようになります。

 

子どもたちが一人で立ち上がるのは難しいですが、「ぼくも」「わたしも」と立ち上がるような集団を教師はつくっていきます。しかも、自分の手柄としてではなく、みんなのがんばり、リーダーの手柄でありフォロアーの手柄であると。

 

 

行事に限らず、最後には総括をします。

総括って何?という方のために、ざっくりと話すと、子どもたちから取り組み全体の成果や問題点を事実として出してもらい、それらを通して運動会で身につけた力や思想、今後の課題を明らかにしていくことです。

 

 

今の学校は行事を終えても、情緒的な連帯をピックアップするような風潮があります。

「がんばったね」

「たのしかったね」

いわゆる「達成感」が取り組みのゴールとして設定されているような感じです。

 

 

でも、運動会の取り組みも大きな目で見れば、〇年生の道半ばです。

「俺たちの冒険は、まだまだ終わらねぇ!」というやつです。

 

 

 

総括では、リーダーからはフォロアーの支えでありがたかったポイント、フォロアーからはリーダーのがんばりが見えたポイントを事実として吸い上げ、そうした行為がお互いを助け、活動をよりよいものにしていくという価値に気づいてもらえるようにします。

 

 

 

 

 

おわりに 運動会の応援練習は子どもに自治を手渡すいい機会

 

 

と、ここまで長々と書いてきましたが、最終的に考えたいのは「運動会を活用して子どもたちの何を育てるか」ということです。

 

 

運動会を成功させるのは運動会のためではなく、今後子どもたちがどんなことを自分たちで成し遂げられるように、有効な体験を積むことではないでしょうか。

 

 

運動会は内容を教師が決め、取り組ませるという側面が強い行事ですが、その中でも子どもたちに自治を手渡すための種をまき、目が出るようにしていきます。

 

それは、これからの行事や取り組みが、だんだんと子どもたちによって自己評価やタスク管理、役割分担などが進められていくようにしていくためです。

 

私の指導方針の中で一つのゴールは、6年生を送る会の時に子どもたちがどんな自治的な取り組みを展開できるかだと思っています。

 

 

みなさんの学級や学年、学校の運動会が、教師の満足感や保護者への見栄えに終始することなく、子どもたちの自治に関わる収穫のあるものになることをお祈りして、ここで終わりにします。

 

最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございました。