たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

自己肯定感の低い子が自分に希望を見出していくために、教室で私たちが取り組む3つのこと

みなさんこんばんは。

お盆休みはゆっくり休めたでしょうか。

 

さて、早いところでは来週から新学期が始まる自治体もありますね。

世間では9月1日の自殺が一番多いということも言われるようになってきています。

 

 

楽しかった夏休みに後ろ髪をひかれながらも、思い出と作品と宿題を引っ提げて子どもたちは学校に笑顔で登校、担任の「夏休みは楽しかったですか?」の問いに「はーい!!」と答え、宿題提出はパーフェクトで、希望いっぱいの楽しい2学期のはじまりはじまり・・・

 

 

 

そんなわけないですよね。

 

 

正確には、

そんな子ばかりではないですよね。

 

 

画一的な見方ではなく、前のめりの自分を少し落ち着けて、子どもたちの姿に合わせた指導方針をもつ必要があります。

 

 

 

 

2学期は行事が多く、その準備期間も子どもたちの集団づくりのチャンスです。

 

 

子どもたちにとって、

 

安心できる心の居場所としての学級・学校

自立に向けて成長する実感をもてる学級・学校

 

を目指して、活動を通して子どもたちと共に価値を見つけていきましょう。

 

 

 

 

自己肯定感の低い子、いませんか?

 

さて、今回のテーマは「自己肯定感」です。

 

 

自己肯定感の低い子、学級にいませんか?

 

 

「どーせオレなんて、何やってもうまくいかないし」と言って、授業参加をあきらめる子。

話し合いで発言もできず、まるで空気のようにそこに座っているだけになってしまう子。

やる気ばかりが先行して、どうしたらいいかがわからず結果的に口だけの子。

 

 

カタチはいろいろありますが、そうした子どもたちの根底に流れる「自己肯定感の低さ」に対して、watcha合宿でともはる先生と話したことをもとに、考えてみたいと思います。

 

 

「自己肯定感」の高まりのための要素は3つある

 

自己肯定感が高まるためには、

 

「他者受容感」

 

「自己決定感」

 

「成功体験」

 

の3つの要素があります。

 

 

この3つがそろった時が一番自己肯定感の高まりが生まれます。

 

例えば、計算問題の正答率が上がったり、速く解けるようになったりという成功体験を積み重ねても、教師から与えられた取り組みをただ続けるだけでは、自己肯定感の高まりは不十分です。

また、自分で計算練習を自主的に取り組もうと決めたとしても、友達からは「そんな低レベルなことまだやってるの」と批判されたとすれば、自己肯定感は高まらないでしょう。

友だちから「計算がんばってるね」と認められるような取り組みをしていたとしても、間違いばかりで結果が出なかったとしたら、それも自己肯定感の高まりにはつながりません。

 

 

 

自己肯定感を高めようとするならば、教師一人の頑張りでは絶対に足りません。

 

そこで、子どもたちの力を借りながら、「集団で」自己肯定感を高めていくための視点について、それぞれの要素から考えていきたいと思います。

 

 

 

 

その1 他者に受け入れてもらうこと「他者受容感」

 

 

他者に受け入れてもらう

 

ということは、教師が

 

「お互いの言うことを尊重して、すべて否定することなく、受け入れてあげなさい」

 

という指示で達成するべきことではありません。

 

 

 

人とのつながりは

 

「先生に言われたからやっている」

 

というものではないでしょう。

 

 

人に受容されることのうれしさや、人を受容していくことのよさを実感するために必要なのは、「対話」でありその体験です。

 

ここで「会話」ではなく「対話」という言葉を使っているのは、ただ話していればいいというものではないからです。

 

共通の目的や話題に対して、それぞれが自分事として捉えながら話をし合います。

それが「対話」です。一方通行では「対話」ではありませんね。

 

 

 

そして、他者から受け入れられやすい共通の目的や話題を設定し、「対話するに値する集団」であることを印象付けながら、「対話」を文化にしていきます。

 

・・・と、難しいことを言っていますが、その中身は簡単です。

 

 

いろいろなアイデアを出すような話し合いの体験です。

 

 

クイズやなぞなぞの答えを班で一つに絞って回答する

季節の教室掲示のアイデアを数多く出し合う

運動会の組団のスローガンをつくるために、どんな組団にしたいか願いをたくさん出す

学芸会の発表に必要な小道具のアイデアを出す

 

などなど、話し合いの中で答えが一つではないものや、選ぶにあたってたくさん出しておいた方がいいアイデアを求めるなどの「体験」を通して、自分の言ったことを「受け止めてもらった」という事実をつくっていきます。

 

 

 

あくまで「アイデア」ですから、すぐに批判することなく数を意識することも大事でしょう。

 

私はよくホワイトボードを活用しながら誰もが参加できるテーマの「数で勝負クイズ」を出します。

・3文字の魚

・学校の先生の名前(フルネーム)

・教室にあるカタカナ語のもの

・きへんの漢字

 

などなど。そうすれば、誰かのアイデアを否定することなく蓄積し、それらが楽しい=いいものであるという印象をつけることができます。

 

他にも、「かぶっちゃやーよ」的な、数あるアイデアを戦略的に選ぶゲームなども取り入れています。

 

 

 

まとめ 話し合いの中でアイデアや考えていることを聞いてもらう場をつくる

 

 

 

 

その2 自分で決めてやってみること「自己決定感」

 

イデアを出し合い、楽しい対話を積み重ねるだけでは実践としては不十分です。

そうした体験を通して得た「他者受容感」を、今度は自分で形にしていくための一歩を踏み出すことを子どもたちには求めます。

 

それが、「自分で決める」ということです。

 

 

しかし、「何をしたらいいかわからない」「決められない」という子が必ずいます。

だからこそ、みんなでアイデアを出していろいろな視点から取り組みを考えていくのです。

 

 

 

例えば、

 

運動会の応援練習で団長が「いたら助かる」と思う仕事は何か(太鼓を除く)

 

という問いに対して、

・応援のお手本

 

だけのアイデアでは、声の小さい子や恥ずかしがり屋の子は「やろう」とは思わないでしょう。団長からの「こんなことをしてほしい」という声や、例年の応援練習の傾向、実際やってみての課題などから、アイデアを出して活動を修正する機会をつくります。

 

 

そこで、付箋やらホワイトボードやらを駆使し、グループでの話し合いの中で、

 

「応援歌の歌詞を持つ人が必要だ」

「そしたら模造紙に応援歌を書く人も必要じゃん」

「応援のお手本って何をするのさ」

「腕の振りを1年生の前で鏡になってやったらどうかな」

「それいいけど、それだけでうまくいくかな」

「じゃあ、鏡とは別に同じ向きでやってくれる人を列の中に入れたら?」

 

 

などとアイデアを出してもらいます。(こんな風になったら相当すごいですが。)

 

 

そして、

 

「その中で自分だったら何ができるか」を考え、自分で何に取り組むか決めてもらいます。

 

 

みんながやりたくなくて消極的に「歌詞を書く」ばかりになることも考えられますが、そこは「じゃあ応援練習の時は何をするのか」を考えてもらいましょう。

 

 

 

何が言いたいかというと、話し合いを通して最終的に「自分のことを自分で決める」ことが、自己肯定感を高めるための二つ目のステップだということです。

 

 

 

応援練習の時の応援団長を助けるため

 

といった目的のために、「何もしない(しなかった)自分」ではなく、集団の共通の目的のために「何かした(しようとしている)自分」という位置づけに自分の身を置く必要があります。

 

それが「自己決定感」なのです。

 

 

まとめ 何が大事か、何をやるか、自分で選んで「決める」場をつくる

 

 

その3 やるからには成果を上げたという事実を作ること「成功体験」

 

さて、他者受容と自己決定を何とか活動に位置づけたとしても、それらが成功しなかったら自己肯定感は育ちません。

何としても取り組みは成功させなければならないのです。

ここは責任をもって、子どもたちに成功体験をプレゼントしましょう。

 

しかし、間違えてはいけないことがあります。

それは、

「成功と結果をすり替えること」

です。

 

「みんなの力で優勝することができました」

「応援賞を取ることができました」

 

といった成功は、子どもたちは一時の達成感に身を置くことはできます。

しかし、そうでなかったとしたらどうでしょう。総合優勝を逃したことや、対外行事で入賞できなかったことといった「結果のみ」の総括になったとしたら・・・

 

 

 

取り組んだ成果を結果とすり替えてしまうことほど、もったいないことはありません。

 

 

私たちが見るべきは「結果」ではなく「過程」です。

 

自分で決めた取り組みが、うまくいくかいかないかはやってみないと分かりません。

やる気満々で立候補したくせに、リーダーの女の子の予告も空しく打ち合わせをする昼休みに遊びに行ってしまう男子は、どの学校にもいるものです。

 

そうした「うまくいかない」をあぶりだすことが、最終的に成果を見出すことにつながります。

 

「◯◯日の応援練習のための応援歌の歌詞ができていなくて、1・2年生は全然歌えていなかった」

「前に立つ人が恥ずかしがっていて、後輩にお手本を示せなかった」

 

といった問題点を見つけ出し、

 

「次の応援練習までに絶対歌詞を書く」

「応援団が指示を出せるように、練習の時は別の人が掛け声を言ったらどうか」

「恥ずかしくないようにみんなでやろう」

「振り付けも歌詞に書き加えたらお手本がなくてもできるんじゃないかな」

 

と、改善点を話し合いで見出します。

それが「中間総括」です。

 

もちろん取り組みの最後には「総括」を行います。

結果を成果にすり替えることなく、

 

「途中はうまくいっていなかったけど、あれからちょっと変わった」

 

というポイントを後から振り返り、「ちょっと変わった過程」を価値づけ、それを「成功体験」とするのです。

軌道修正ができたことこそが取り組みの価値であり、それに関わった子を認めていきます。

 

結果に依存する競争原理が渦巻く学校ではなく、過程にきちんと目を向け、みんなでアイデアを出し、決めたことに対して関わり合いながら進んでいくという指導方針を、少しずつ実践していくことで、子どもたちの自己肯定感を高めていきましょう。

 

 

そうした競争原理や結果主義(部活で言えば勝利至上主義のようなもの)ではない価値を子どもたちに獲得させていこうとするならば、

「この行事を通して子どもたちに何を学び取ってもらうか」

「この行事を通して子どもたちに体験してもらいたいことは何か」

といった指導方針について、教師があらかじめ共通理解する必要があります。

 

「楽しい応援練習作りのためにアイデアを出す体験をしてもらう」

「うまくいかなかったときに軌道修正する体験をしてもらう」

「下級生に教えるという立場から、集団に働きかけることの難しさと乗り越えることの達成感を実感してもらう」

 

といった具合です。こうした指導方針の共通理解があることで、子どもたちの試行錯誤の機会を保障したり、失敗を一旦受け止め、修正する機会を設定したりする「溜め」になります。

独りよがりな実践にしてしまうと、割を食うのは子どもたちです。

どんな体験をどのように修正していくかきちんと見通しながら、指導方針を分かりやすく提示すれば、だいたいの先生にはわかってもらえるでしょう。

 

私だったら「最終的に6年生を送る会の発表を自分たちで考え、自治的に活動に取り組めるようにするため」と言います。

自治的な活動の集大成に向けての布石、としておきます。

 

 

 

最近の学校では、効率化がだいぶ幅を利かせるようになってきましたが、裏を返せば子どもたちに失敗すらさせてあげられない学校になってしまっているとも言えます。

こうした窮屈な学校になってしまっていることは後日また改めて書きます。

 

 

 

まとめ 取り組みの中間総括を取り入れながら軌道修正をみんなで行い、よりよいものへシフトする体験を