たくや先生の小規模校×集団づくりブログ

全校児童50人にも満たない小さな小学校に勤務しています。小規模校の良さや課題、おもしろさを通して、小学校の豊かな学びを考えていきます。

地域と学校をつなぐ 子どもも地域も教師も元気に

みなさんの学校は「学校応援団」とか「学校運営協議会」とか「コミュニティスクール」の取り組みってありますか。

 

先日その研修会があったのですが、その研修よりもそのあとに地域の方とお話したことのほうがずーーっと勉強になったので、今日は短くそのことについて書いてみます。

 

 

 

 

 

コミュニティ・スクールって何? 

 

コミュニティスクール(学校運営協議会制度)とは、学校と地域住民などが力を合わせて学校の運営に取り組む「地域とともにある学校」への転換を図るための仕組みだそうです。

 

 

 

文部科学省 コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/community/

 

学校と家庭との連携に加え、学校と地域も連携をしながら、特色ある学校づくりを進められることをうたっています。

 

コミュニティ・スクールの導入が進んできている自治体も増えてきましたが、「うまくいっているか」と問われると、「うーん・・・」という学校も少なくありません。

 

 

 

コミュニティ・スクールってどんないいことがあるの?地域の方と話して感じたこと

 

これはいくつもあると思いますし、学校や地域によってそれぞれ置かれている状況が違うので、全てに共通するわけではないことを前もって言っておきます。「子どもの活躍の場を広げる」と言いながら実際はマンパワー(労働力)の確保が目的だったり、企業の広告塔としての役割を担わされる例もあります。それらが子どもたちにとって有効にはたらくときもあれば、そうでないときもあるでしょう。それらはやってみないと分かりませんし、その分水嶺は結果ではなく過程にあると思います。

 

私が地域の方とのお話の中で感じた「地域と学校」という視点でここでは書くことにします。

 

 

 

 

(1)教員の資質能力に左右されない「質の高い地域学習」の提供が可能に

 

コミュニティ・スクールを通して、地域のつながりが再構成されていくと、地域の人材の蓄積が行われていきます。

 

地域の人材の蓄積が行われると、2年生の町探検(生活)や、3年生の学区探検(社会)、中学年の地域学習(総合)といった学習に地域ぐるみで関わり、子どもたちの見学のインタビュー活動や絵地図作りに活かすことができます。

 

 

 

赴任したての異動教員や、若手の教員が受け持ちになったとしても、前年までの蓄積があるので困ることは少なくなります。

 

 

私のように「休日に峠を越えて自転車で学校に行く最中に、学区で見つけた面白そうなお店に初見で「こんにちは~」って入っていくような教員」ばかりではないと思うので、こうした取り組みで助かる先生はいると思いますし、その年の教員がその都度地域の人材を掘り起こして学習に臨むというのは厳しいです。何より、子どもたちにとって魅力的な地域学習を提供し続けることになりません。

 

だからこそ、地域人材を蓄積し、学校のカリキュラムとその地域人材とをつなぐシャフト役が必要です。地域の方の中でもこればかりはだれでもできるわけではありません。

 

 

 

 

 

 

 

(2)子どもたちが潜在的に求めている「遊びの体験」と、地域の年配者がもつ「遊びの経験」をリンクさせることは「生の実感」につながる

 

うちの学校のような小規模校の子たちは、放課後どんな風に過ごしていると思いますか?

 

自然豊かで、地域には小川が流れ、明るい林があり、花は年中咲いています。

遊具のある公園こそ少ないですが、神社やお寺、広場はあります。

何なら放課後学校に戻ってきて遊んでもいいです(私の子どものころは学校を2往復する生活でした笑)。

 

そんな自然に恵まれたうちの学校の子たちは、残念ながら外で遊んでいません。

都会の子のほうがよっぽど外で遊んでいるのではないかと思うくらいです。

 

 

 

ゲームの普及よりももっと深く、このような地域には「近所に遊べる子がいない」という抜け出せない現状が蔓延しているのです。

 

 

 

そうした「遊び体験の喪失」を、地域の方が学校と関わることでちょっとずつ取り戻していけたら、子どもたちは元気になると思います。

放課後の遊びに限定せず、体験活動の一環として、無理のない範囲でいろいろな遊びに取り組んだり、郷土料理を食べたりするのもいいでしょう。

 

 

同様に、「過去の遊び経験」を子どもに還元する側の地域の人はどうでしょうか。子どもからお金やモノの見返りはありませんが、「ありがとう」の言葉はつながったことによる喜び、教えたことによる充実感につながります。

孤独死が社会問題になっている昨今、「つながり」は得ようと思ってはいてもなかなか簡単に得られるものではありません。そうした「つながり」を参加者に提供できる場として、コミュニティ・スクールの取り組みが活用されていけば、楽しさをきっかけにした「生の実感」につながるといっても、決して大げさではないと思います。

 

 

 

 

(3)コミュニティ・スクールは地域のエネルギーのある人を吸い上げる仕組み。だからこそ参加した人が元気になり、「地域の一員」という「当事者意識」を強める

 

地域と学校をつなぐ取り組みをしたからといって、学校を最優先に動いてくれる人は本当に少ないと言っていいでしょう。みんなそれぞれの生活があり、仕事があり、考えがあります。

PTAが任意団体であるのと同様か、それ以上に参加を強制するものではないということを鼻息の荒い人にはわかってもらう必要はあると思います。

「何で参加してくれないの!」

とか言うのはちょっとお門違い。

 

 

 

 

それでも、やってくれる人はやってくれます。

それはなぜか。

 

 

 

 

 

日本の消費社会が成熟しきった今、モノにあふれた社会を生きる人々はモノよりも「体験」を求めるようになったからです。

 

 

 

BBQやキャンプ、グランピングがピックアップされ、

クラウドファンディングとそれに伴うイベントが盛んに行われ、

SNSを通したインフルエンサーとしての価値が高まり、

都会からもたくさんの人がボランティア活動に参加しにいきます。

モノの豊かさによって単純な消費には飽きてしまった社会の中で、「人とつながる体験」「地域のつながりの実感」を求める人はこの先もっともっと増えます。

 

 

「都市と地方をかき混ぜる」の著者、高橋博之はこうした消費行動のキーワードを「共感と参加」と述べています。

 

ただ物とお金を交換するのではなく、人々はその物の背景にある価値観に「共感」したり、その物の価値を高める物語づくりに「参加」したりすることを求めている。

 

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https://www.amazon.co.jp/都市と地方をかきまぜる-「食べる通信」の奇跡-光文社新書-高橋-博之/dp/4334039367

 

 

 

 

コミュニティ・スクールを、

 

単に国が推進しようとしている、上から降ってきた取り組み

 

として捉えるのではなく、

 

地域への当事者性を強め、参加した人を元気にする体験の場

 

として捉えることで、コミュニティ・スクールは地域シンボルとしての学校の輝きを強めることにつながると思います。

 

 

 

おわりに

 

「都市と地方をかきまぜる」を読んで感じたのは、「どちらか片方を選ぶ」のではなく、「双方のいいとこどり」をしてもいいということです。

都会は便利、田舎は豊か。

 

学校現場においても、ICTの活用やタブレットの導入、利便性はどんどん高まってきていますが、それだけが教育の質の高さではありません。

実際に触る、作る、話す、歩く、といった「体験」も大事な教育の一つです。

 

グラフィックを駆使し、分かりやすい動画を見たからといって定着は難しい。

だからといって前時代的なままの教育を提供していくのも違う。

 

そうした学校現場に、コミュニティ・スクールは一筋の光となりうるのではないかと、地域の方と話して感じました。

 

風穴を開けるほどのインパクトを求めるのではなく、無理のない持続性の中で、子どもたちも、地域の方も、私たち教員も元気になれる道を探っていきたいです。