トラブル解決の場に子どもたちの「共感」を 子どものトラブルで意識したい3つのこと
「共感性の乏しい子」という学習会での気づきは、最近の私の実践テーマになりました。
一緒に組んでいる支援学級の若手の先生(一応私も20代ですが)とも、
「この子のこうした発言はどうして出たんでしょうね」
「ケンカすることが『できるようになった』とも言えるんじゃないかな」
「問い続けると『じゃあもういい』ってなっちゃうんですよねー」
「この子とこの子の関係性はだいぶマイルドになってきましたよ、対話が多いからですかね?」
などという話をしています。
「現象そのものに対する指導内容」ではなく、「現象から見える実態分析」と、それに対する「指導方針と指導内容」の話をするように心がけています。
もちろん笑い話や愚痴もありますが・・・笑
さて、今回は「教師が子どもに寄りそって話を聞く」ということについて考えてみたいと思います。
- 子どもが被害を訴えてきた!その時どうする?
- 「黒板さばき」って?
- 何のために「黒板さばき」をするのか
- そこからさらに一歩。共感の場を子どもに「開く」
- 教師が上から目線で断罪するのではなく、子どもに判断してもらう
子どもが被害を訴えてきた!その時どうする?
「先生、〇〇君がブランコを貸してくれません」
「先生、〇〇さんがぼくに悪口を言ってきました」
「先生、何もしてないのに〇〇君に叩かれました」
小学校には大規模だろうが小規模だろうが、対人関係のトラブルが転がっています。
訴えがあった時、「今忙しいからあとでね」なんて先延ばしにしてしまっては子どもの「聞いてもらいたい」という気持ちに応えることができません。まずは手を止めて、「どうしたの」と聞きましょう。
被害を受けた側の子はあれやこれやと話をします。
「さっきから待ってたのに、わたしが『あと〇回ね』とか言っても無視するんです」
「ぼくは何もしていないのに嫌なことを言いました」
「ぼくがね、鬼ごっこをしてたらね、突然ね、後ろからね、叩かれたの」(ね、が多い子、いません?笑)
それらの訴えを受けて、いよいよ先生は加害側とおぼしき子を、ちょいちょい、と呼んで話を聞くわけです。
この時に大切なのは、教師はあくまでファシリテーター、中立の立場で話を聞くことです。
「事実確認をする」ということは、同時に「途中に口をはさんで上から目線の指導を入れない」ということでもあります。
話を聞こうとするその子の様子や特性、言語化できるかどうかなど、留意するべき点はたくさんありますが、まずはその子の「本音」を引き出せないことには話は進みません。
ここで嘘やごまかしが多いのは、「教師が怒る気満々だから」ということが多いように思います。
子どもは正直に言ったほうがいいのはよくわかっています。
それでもごまかしてしまうのは、怒られたくないからです。怒鳴られたくないからです。
お母さんには正直に言えるけれど、お父さんには言えない
担任には正直に言えるけれど、親には言えない
女性の先生には正直に言えるけれど、男性の先生には言えない
とか、身に覚えはありませんか?
裏表のないまっすぐな子であってほしいという私たちの願いも空しく、こうしたトラブルの時に子どもはごまかしたくなるものです。
そんな子どもたちから本音を引き出すためには、まずは話を傾聴するスタンスをきちんと示し、怒鳴りつけて恐怖で反省を促すスタンスをやめることです。
事実確認をするうえでその子の思いをきちんと受け止め、両者がトラブルを乗り越える中で互いを尊重できるように支援するのが私たちの役割です。
【仲間はずれにされている子がいた時に、ぼくが気をつけたいこと】
— きしもとたかひろ (@1kani1dai) June 6, 2019
その子たちの関係はその子たちのもの。
僕たちができることは、こちらの決めた正解に導くことではなくて、その子たちに寄り添うことだと思っています。 pic.twitter.com/m0zzE60WJf
このような受容・傾聴の姿勢や表面的な解決とせずにアフターフォローにまで見通しをもってその子に寄りそうことが大切だと思います。
ここで私が意識して取り組んでいるのは、「黒板さばき」というやり方です。
「黒板さばき」って?
「黒板さばき」とは、どもたちから出た話を黒板やホワイトボードなどに「見える化」することです。
まずは何が起き、何をされ、何をしてしまったかを時系列にまとめていきます。
「叩いた」をきっかけに、そのあとの「蹴った」「逃げた」「悪口を言った」といったトラブルのエスカレートの様子が明らかになります。
また、同じ「叩いた」でも、その前の「悪口を言った」「足が引っ掛かった」「ふざけていて危なかった」などとトラブルの火種をさかのぼっていくことにもなります。
そして、その中で
「一番自分が嫌だったことはどれ?」
「自分がこれだけは許せなかったことは何?」
「ここで手が出たんだけど、その時に本当は何を言いたかったの?」
と問い返しながら子どもたちの思いを引き取ります。
ここまで「こうしたほうがいい」なんて言いませんし、「君が悪い」ということも言いません。
大事なのは関係する子たちの中で「事実の点が線になる」こと、お互いの気持ちがどうだったのかの整理をすることです。
そして、「見える化」する過程で「自分の思いを先生は受け止めてくれた」という事実と、それらを相手は見ている、この黒板を一緒に作っているという事実を示します。
黒板さばきをしているとき、加害者も被害者も同じ方向を見ています。そして、同じ命題に向かっていくことを通して、
「あ、こういう時に怒るのはおれも一緒だ」
「こんなことされたら悲しい気持ちになるよな、ぼくも一緒だ」
「こんなこと言われたらがっかりする。わたしも一緒」
と、共通点を見つけていくことができます。
何のために「黒板さばき」をするのか
私がトラブルの解決の中で意識したいことは大きく分けて3つです。
①子どもの「本音」を引き出し、嘘やごまかしのない誠実な文化をつくること
②加害者・被害者ともに共感され、共感する場にすること
③トラブルを解決する過程を子どもたちに開き、自治につなげていくこと
「本音」を引き出すために、教師との信頼関係を作っておくことは重要です。
しかし、それ以上に考えなければいけないのは、教師とその子の関係は一時的なもので、子どもと子どものほうがずっと関係は続いていくことです。
だからこそ、たとえトラブルの解決という場だとしても、共感を軸にした「他者理解」を進めていく必要がありますし、教師の断罪ではなく子どもたちによる解決の方法を示し、自治を手渡す必要があります。
こうした「黒板さばき(見える化)」を通して、子どもたちはトラブルを客観視し、自分で
「あ、これは言いすぎだ」
「先に手を出してしまった」
という分析ができるようになります。友達に傷つけられた事実と同時に、傷つけた事実を認識し、自分で自分を分析するためには、頭の中だけでは難しいです。
「見える化」をすることで客観視すること、
そして、「黒板さばき」をする過程にはもう一つの側面があります。
それは、当事者だけでなく第三者にも入ってもらえるということです。
そこからさらに一歩。共感の場を子どもに「開く」
第三者に入ってもらうことで、共感の輪は広がり、同時に問題の解決の中に子どもの目を取り入れることができます。
第三者を招くときに呼びやすいのは、
「そのトラブルを見ていた子」
です。
客観的に事実を話してもらい、話を整理します。(もし利害関係があるようなら(一方の肩をもつような子)、そうならないように気を付けなければいけません。)
また、
「当事者が一目置いている子」
に入ってもらうのも有効です。
「どこに問題があると思う?」
と問い、
「さすがに殴るのはやりすぎ」
「そこまで言ったら怒るってちゃんと考えてほしかった」
と語ってもらいます。一目置いている子からそう言われると、
「そりゃそうだ」
と思えます。片方の立場に有利にならないように、呼ぶならそれぞれに「味方にになってくれそうな人」を連れてきてもらったり名前を教えてもらって教師が呼んできたりするといいかもしれません。
こうしたトラブルの中で見えてくる着地点は、
「気持ちはわかるけどやり方が間違ってる」
ということが多いと思っています。
「気持ちはわかる」に至るまでにはやはり「共感」を大切にしながら、
「こういうこと言われてすごく怒ったの」
「そうか、それで怒ったんだね」
「だって蹴られたからムカついたんだもん」
「そっか、蹴られたからムカついたんだね」
とオウム返しの手法を使いながら受容し、「黒板さばき」に位置付けていきます。
そうして共感の輪を広げていきながら、最後には子どもたちに
「〇〇さんはこの発言で怒って手を出してしまったようです」
「〇〇さんはこのことが我慢できないくらい悔しかったみたいです」
と整理します。そのあと、
「ここについてどう思いますか」
「その傷つけてしまったことについて、相手に言いたいことはありますか」
「相手にはどうしてもらいたいですか」
などと様子を見ながら問うていきます。
こうした中で第三者に開くやり方としては、
「『こういうところ、分かる』というのはどこですか」
「『自分でも我慢できないな』って思うところ、ある?」
と問いながら、共感を促します。
第三者を取り入れる解決方法は、共感を通して閉じた関係性を開く有効な手段です。
教師の上から目線の言葉をやめ、ファシリテートに徹することで、子どもたち目線に立ち、子どもたちを活躍させながらトラブルを解決できるようになります。
そして、
「あなたの言葉のおかげで解決したよ、ありがとう」
と協力してくれたことを認め、次トラブルが起きたときに整理役として立ち上がるための種をまくことができます。
教師が上から目線で断罪するのではなく、子どもに判断してもらう
「謝りなさい!」「反省しなさい!」
「握手して仲直り」
「もう関わらないほうがいい」
教師が捉えている問題の解決の方法の中でも、これらはかなり表面的であるばかりか、子どもたちの声を無視し、関係性を壊す側面もあると心得ないといけません。
もちろん「謝る、謝ってもらう」ことは人間関係を作り直すことにつながりますが、それさえやっておけばいいという短絡的なものではないと思います。
ここまで子どもたちの声を受容する中で子どもたちに寄りそうこと、子どもたちの共感の輪を広げていくことを書いてきましたが、最後に解決の道を子どもにゆだねることについて考えていきます。
前述のとおり、トラブルの着地点は、
「気持ちはわかるけどやり方が間違ってる」
ということが多いと思っています。
それは子どもたちもわかっています。わかりきっているんです。
だからこそ「くどくどと正論を振りかざし、大人という強い立場から断罪される」というのが「ウザイ」んです。
そこで、第三者にどうしたらいいかを聞いてみます。選択肢としては3つです。
①こんなことでケンカしてても仕方がないくらいくだらないので「忘れてください」
②どっちもどっち、お互い様です。謝るほどではないけれど、「気を付けてください」
③これは相手を傷つけました。「謝ってください」
※片方に謝ってもらうときもあれば、両者ともに謝ってもらうときもあります。
「共感し、解決の道を探る」という営みを徐々に子どもたちに手渡していくことで、教師が行動選択のものさしになることなく、子どもたちで解決していこうとする関係性をつくることができます。もちろん数回では難しいです。積み重ねが必要です。
尊敬する先生からトラブルの解決方法を教えてもらった時、目からうろこが落ちたのと同時に、「そんなこと自分にできるのか?余裕あるのか?」とも思いました。
ただ、できる範囲でできるところから始めた結果、子どもたちがだんだんと相手の話を聞くようになり、自分たちで解決しようとする姿を見ることができました。
「黒板さばき」を小学校1年生が勝手にやるんです。びっくりしますよ。
トラブルの解決をも学びの場として捉え、子どもたちの関係性づくりに見通しをもっていきましょう。
まずはできるところから。
「黒板さばき」、おもしろいですよ。