「レポートを書く」「実践分析」が成長のチャンスを生み出すきっかけだと思っているという話。
とある民間教育団体の学習会のレポート分析の機会を頂いたので(よく回ってきます)、レポートを書いています。
わたしはこうした民間教育団体の学習会は、教育委員会の研修のような「上意下達型」の「発信」ではなく、地に足をつけた(ある意味では地を這う)草の根を分けた「実践分析」の場だと考えています。
実践分析を通して得られた視点は自分の学級にも活かすことができますし、自分が子どもたちと接するスタンスや自分の中に潜む思想のようなものを再確認できます。
他人のレポートですらそうした豊かな学びのきっかけになるのですから、自分のレポートとなればなおさら深い学びが約束されるわけです。
恥ずかしさも当然ありますが、それ以上にレポートを書くメリットは大きいです。
さて、今回チャレンジしているのは、できるだけ子どもたちが話した言葉や私の発した言葉を極力そのままに書くということです。(当然すべてを覚えているわけではないので、多少脚色が入ったり補完されたりしますが)
都合のいいことばかり書くのではなく、痛いところ、迷ったところ、困ったところも書きます。
「この時はこう考えてこういう対応をした」
「この時はすっかり困ってしまって、何もできなかった」
「この時はこう思っていたんだけれど、取り組みをやるにつれてこういう考えになっていった」
こうした実践者の即時的な「実践勘」が実践分析のカギになっていきます。
研究授業の協議でよくありがちな「たれれば論」に終始することなく、どういった見通しで、この先はどのような取り組みで子どもたちと「やり直し」をしていくかが実践分析の最後には見えてきます。
子どもたちの日ごろの生活の様子や発する言葉、その裏に潜む思想など、実践分析を通していろいろな立場から出される「読み」=「子ども理解」は、何事にも代えがたい「学び」になります。
おすすめはしませんが。